(´・ω・)どうも量産型人間です。
キマ3のページで面白げな話をしていると聞いて他人のBlogでコメントに長文書くのも何なのでこっちに書いてみました。
一神教は厳しい自然の中で育つ、というのは正解だと思いますね。
だからこそユダヤ教やイスラム教はあれほど厳しい戒律になっているんだと思う。
宗教は価値観の固定という意味で、確かにある意味思想の拘束化が発生します。
(蛇足ですが、ヒンドゥー教は理不尽な戒律多い・・・今後調べていきたい分野)
科学は、事実・事象の固定化という感じでしょうか。まぁ神がサイコロを振っていることになる量子力学は当てはまらなくなってきており、その定義自体が怪しいものになっていますが。
ただ、日本が多神教か、多神教だからこそ自由な発想がうまれたか、というとそこはNot Reallyと言いたいですね。
日本には宗教なんてものはないですよ、と。単に宗教に無自覚でいられる環境だったから。いるのは土地神、いわゆる妖怪です。通常は妖怪の勝ち組が神を名乗り、その他は邪神または妖怪と呼ばれることになるのですが、日本だとそれが無い。
もちろん、日本創世記の神話にいくとヤマタノオロチとか出てきますが、じゃあ勝ち組は?スサノオ?あれ?あれって神様?みたいなノリになってしまいます。
神は木々に降りてくる。
森(もり)という言葉は、天降り(あもり)という言葉が語源だそうです。一説によると日本の森林は切り払っても30年で元の状態に戻るといいます。こんな回復力がある地域は世界中で見たら珍しいそうです。であるからこそ、自然に自己回復力を期待し、神が宿る自然を助ける行為(植林等)は考えず、ひたすら神頼みを出来た、ともいえそうです。
結局の所、梅雨や台風が毎年やってくるために日本の自然は豊かであり、それに対して日本人は自然に対して大して敬意・興味を払ってこなかったために、このような無宗教状態に陥っていると思います。少なくとも、局地的限定的に生まれた宗教であるが、それが育ってはいかなかったと。
(´・ω・`)これを宗教というなら、西洋や中東の宗教と日本の宗教の定義を比べること自体が無意味に思えます。
では無宗教であるがために自由な発想が出来たか?量子力学に関してはそうかもしれませんね。
あの天才アインシュタインですら、神はサイコロを振らないといって量子力学を批判しました。ただ、逆の視点から見れば、全ての物事には法則がある、という「神(価値観)」が正しいかもしれないわけで、全ては結果論でしかないような気がします。要は、その人が如何に論理的に考えられるかで、宗教・無宗教の土台があってもそれを上手く使いこなせることもあるのではないか、と。
(´・ω・`)しかし、科学というのはあれですね。事実の積み重ねで科学が進歩しているわけで、100年後には今より更に事実が積み重なっている訳です。
当然、100年後の子供達はそれらを(全てではないにしろ)勉強せねばならない。科学者としても、昔は「その道の専門家」でそれ以外は素人であっても許されたようですが、今はGeneralistでかつその道の専門家である必要があるようです。
要は、時間が経つにつれ覚えていくことが増えていく・・・
・・・そりゃあ理系離れ進むよね・・・。
キマ3のページで面白げな話をしていると聞いて他人のBlogでコメントに長文書くのも何なのでこっちに書いてみました。
一神教は厳しい自然の中で育つ、というのは正解だと思いますね。
だからこそユダヤ教やイスラム教はあれほど厳しい戒律になっているんだと思う。
宗教は価値観の固定という意味で、確かにある意味思想の拘束化が発生します。
(蛇足ですが、ヒンドゥー教は理不尽な戒律多い・・・今後調べていきたい分野)
科学は、事実・事象の固定化という感じでしょうか。まぁ神がサイコロを振っていることになる量子力学は当てはまらなくなってきており、その定義自体が怪しいものになっていますが。
ただ、日本が多神教か、多神教だからこそ自由な発想がうまれたか、というとそこはNot Reallyと言いたいですね。
日本には宗教なんてものはないですよ、と。単に宗教に無自覚でいられる環境だったから。いるのは土地神、いわゆる妖怪です。通常は妖怪の勝ち組が神を名乗り、その他は邪神または妖怪と呼ばれることになるのですが、日本だとそれが無い。
もちろん、日本創世記の神話にいくとヤマタノオロチとか出てきますが、じゃあ勝ち組は?スサノオ?あれ?あれって神様?みたいなノリになってしまいます。
神は木々に降りてくる。
森(もり)という言葉は、天降り(あもり)という言葉が語源だそうです。一説によると日本の森林は切り払っても30年で元の状態に戻るといいます。こんな回復力がある地域は世界中で見たら珍しいそうです。であるからこそ、自然に自己回復力を期待し、神が宿る自然を助ける行為(植林等)は考えず、ひたすら神頼みを出来た、ともいえそうです。
結局の所、梅雨や台風が毎年やってくるために日本の自然は豊かであり、それに対して日本人は自然に対して大して敬意・興味を払ってこなかったために、このような無宗教状態に陥っていると思います。少なくとも、局地的限定的に生まれた宗教であるが、それが育ってはいかなかったと。
(´・ω・`)これを宗教というなら、西洋や中東の宗教と日本の宗教の定義を比べること自体が無意味に思えます。
では無宗教であるがために自由な発想が出来たか?量子力学に関してはそうかもしれませんね。
あの天才アインシュタインですら、神はサイコロを振らないといって量子力学を批判しました。ただ、逆の視点から見れば、全ての物事には法則がある、という「神(価値観)」が正しいかもしれないわけで、全ては結果論でしかないような気がします。要は、その人が如何に論理的に考えられるかで、宗教・無宗教の土台があってもそれを上手く使いこなせることもあるのではないか、と。
(´・ω・`)しかし、科学というのはあれですね。事実の積み重ねで科学が進歩しているわけで、100年後には今より更に事実が積み重なっている訳です。
当然、100年後の子供達はそれらを(全てではないにしろ)勉強せねばならない。科学者としても、昔は「その道の専門家」でそれ以外は素人であっても許されたようですが、今はGeneralistでかつその道の専門家である必要があるようです。
要は、時間が経つにつれ覚えていくことが増えていく・・・
・・・そりゃあ理系離れ進むよね・・・。
コメント
んでインドで受け入れられてるのは下位層は生まれ変わったら上位層に行けるように今のうちから徳を積まなきゃって努力するし
上位層も下位に格下げとか絶対嫌だと努力するし
国民が受け入れてるなら良いんじゃねーと。
仏教だって自殺が良くて殺生がダメなんだぜ。
神のサイコロかー
素粒子の発見なんて運だろと。
アレとソレを混ぜたら発生~なんて化学じゃあるまいし。
ひたすらフジフィルム並べておいてひたすら顕微鏡で確認してあるかないかとか生物に近いよな。
理系離れは悲しいぜ。
理科をそんな素粒子とかまでやる必要はないけど、どうして?って気持ちが重要なんだぜ。
どうやって地下鉄車両は地下に入れたの?とか結構大切だと思うぜ。
そこから建築学につながるわけだし。
眠い寝る。
日本は女性が優遇されすぎている気がするからかばう気無いけれど、インドのは酷すぎるわ。まぁ確かに初めにルールありきで宗教になってるから、他の宗教と一緒にすべきでないかもですが。