優生学

2013年3月16日 ポエム
(;・ω・)金曜から風邪引いたっぽくて、薬飲んで眠くなりながら書いてるので
正気に返ったら消すかもしれません。薬で咳は止まったが今度は何故か鼻水が止まらん。

-------------------------------------------------------

優生学という学問、というか思想がある。

 簡単に言うと、優秀な遺伝子を持った人間を交配させて子供をつくり、種としての人間の進化スピードを加速させようというもの。例えば、ノーベル賞クラスのIQの高い人とオリンピックレベルのスポーツ選手を掛け合わせて万能な子供をつくる。民族レベルの話では、あのヒットラーのアーリア人至上主義や、特定アジア系の民族至上主義も大雑把に言うと優生学の範疇に入る。

 かの空の英雄リンドバーグも、優生学思想から優秀な民族であるドイツ人を保護すべきと考え、アメリカのドイツへの参戦に反対していた。

 純粋に思想的に進化を考える話としては、動物園やフラスコの中でやる分には勝手にすれば、で済む話。

--------------------------------------------------

 しかし、現実には動物園である地球上で、食料や資源、環境問題が提起され、特に食糧問題が一番深刻となっている。

 現在、約71億人が地球上に生存し、年間約1億人のペースで増え続けている。
100年前が約20億人、50年前が約30億人だから、増えた人口を養うのにいかに食料が必要かが分かる。(ちなみに食糧生産に余裕が出てきたのは1950年あたりからで、それまでの人類の歴史は飢餓との戦いだったと言われている)

 ではどのようにして食糧増産出来たかというと、機械を取り入れた農地の拡大と農薬や化学肥料を使った農法の改善による。(もちろん一般的な意味での品種改良も)

 細かい話は割愛するが、上記の方法では頭打ちの時期が来ており、それを打破するために遺伝子組み換えが期待されてきた。が、未だに大豆やトウモロコシ以外ではかばかしい成果を挙げていない。理由はいろいろあるのだが、やはり遺伝子の複数のスイッチの組み合わせでないと必要な機能が動かない、という特徴が問題となり、目論みを達成できないでいる。

 ちなみに大豆とトウモロコシで成功したのは、あれらの現在食料として供されている品種は、人手が入らないところで自生することが出来ないくらいまでに品種改良されてしまっているので、リスクコントロールしやすいためだ。


(´・ω・`)まぁこの辺の遺伝子組み換えの話はそのカテゴリの本を読むと非常に面白いので、細かく知りたい人は大きな図書館ででも借りてください。食糧問題は泥沼ですが。

--------------------------------------------------

で、何故優生学にこの食糧問題が出てきたかというと、地球での食糧増産には限りがあるために無駄な人口を増やすべきでない、という考えが優生学思想と合流したからだ。

 優生学を信奉する人に言わせると、地球上で食料を理想的に分け与えた場合では最大で70億人までしか養うことが出来ない。今は71億人だから矛盾してないか?と言われそうだが、車が急に止まれないのと同様、人口は増加スピードを落としながら増え続け、その後70億人まで減っていくと言われている。

(ちなみに別の試算によると、光合成を含めて全てのエネルギーを食料に利用できるようになったと考えても150億人までと言われる。光合成て・・・)

キリスト教世界では400億まで大丈夫とも言われていた気がする(曖昧)が、さすがにそれは神様がいないと無理。まずは神の存在を科学的に証明してもらわねば。


もちろん、科学の発達や社会の発展がそれらの問題をこれまでと同様に解決できる、と主張する人も存在する。が、その部分は本題ではないので割愛する。

--------------------------------------------------

 このため、食糧問題と優生学思想は実は非常に相性が良い。

 極端な優生学信奉者は中国の一人っ子政策にすら反対する。

何故?優秀な人間だけが子供を生むべきであり、それ以外は限られた資源を食らう無駄かつ邪魔な存在でしかないから。凡人は一人も子を生むべきではない。
地球にはもう余計な人間を養う余力はないのだから。

 だが、こんなことをあからさまに言えば、大多数の優秀でない(と判断された)人間から反発を食らって袋叩きにあうのは目に見えている。そのため、信奉者達は遠まわしに金を使うことで目的を達しようとする。

「Stop AIDS!」「望まれない子供が生まれるのを避けるためにコンドームを使おう!ピルを飲もう!」


そんなこんなで、製薬、コンドーム製造会社、NPOに信奉者達の金が流れる。



非常に時間が空いてしまいました。

色々思考の脂分を抜こうと考えて時間を空けたら、書くモチベーションまで脂が抜けた(;´д`)


 さて、原発反対派の意見に対する反発としての、”無責任なこといいやがって!電気が止まったらお前ら責任取れるのか!?”という感情についてですが、、、
 結局この気持ちも原発事故が発生した時のことは考慮してないんですよね。今回の事故では風向きが東向きが多かったために汚染の約8割が海に流れ、地上の被害が思ったよりも少なかった(といっても、チェルノブイリ地域よりも酷い飯館村のような場所もある)が、これが日本海側の原発で起きていれば本当に悲惨なことになる。
 ミクロで見た場合とマクロで見た場合で結果が違うだけで、どちらが正しいかは個人の価値観によっているので、この争いには白黒つける意味はない。

 ただ、心理学の実験でこんなテスト結果がある。

 被験者に、500万円が入っている箱と、1000万円が50%の確率で入っている箱を見せ、どちらかを選ばせた場合、より多くの人が500万円の箱を選んだ。
 次に、同様に500万円の負債と、50%の確率で1000万円の負債を負わねばならない場合に選択させると、より多くの人が後者を選んだ。

 つまり、人はネガティブな要素がある場合にはリスクを取りやすい。
だから、この場合は”電気が止まったらどうするのだ、事故が起こらないことに賭けてみよう”という意見が多数派だったのだろうと思う。

-------------------------------------------------------

 
 報道を見ていて気に食わなかったのが、原発立地地域の首長が「早く原発の再稼動を」と陳情していたことだ。そうしなければ仕事が無い、と言うことは分かる。ただ、それはこれまでは事故は起こらないという前提での話だからこそであって、国から請われてならまだしも、事故後に自ら希望するというのはあまりにも自己中ではないかと思っている。
 福井の原平協の人が(事故前に)書いた本を読んだことがある。書いている内容で気になったのが、TMI事故やチェルノブイリ事故については詳細に原因を書いているのに対し、日本の事故は分析が少なく電力会社を信頼する、これまでの実績が何よりの証拠、という言葉が多い。専門家やそれを職業としている訳ではないにしても、原発推進の立場でそれはまずいだろう、と思っていたが、もしかして、こういう原発の近くにいる人達は自己洗脳で自分のところは事故が起こらないと思っているのだろうか。だとしても、他人まで洗脳しようとしないでほしいが。
 腹をくくっている、都市部の人間のために犠牲になってやっている、と言われても、補助金をもらっている上に万が一事故が起きれば補償を求めるだろうことを考えると、そんなことを言われても虫唾が走るだけだ。近隣県には補償などないし、原発立地県も厳密に言えば電力融通と言う形でその原発で作られた電気を利用しているのだから。

 今現在原発関連の仕事をして生計を立てている人を責めるつもりはないが、自分達がよければそれで良い、という首長の態度は頂けない。事故が起きたら迷惑をかけた近隣県のために補償金を全額使います、くらい言うのであれば、まだ覚悟があると思うのだが。

------------------------------------------- 
 

 この国の原発経済の構造は非常によく出来ている。その本質は、強者が弱者から奪うヒエラルキーなのだが、強者である都市部を士農工商の士とし、実際には原発の電気は工業のためであり、そこでの利潤は政治家や電力会社が吸い上げる。本来弱者である原発立地県を2番目に偉い農に位置づけ、たとえ立地県に発展がなく現状維持であっても、多少の金と自分達は都市部の犠牲になっているのだという幻想を抱かせて自尊心をくすぐらせて利用する。
 この構造を考えた人間は、本当に頭が良いと思う。人間社会の嫌な面を本当によく理解している。


 上記を読んで、皆Win-Winであれば(廃棄物や事故以外は)問題ないと考える人もいるかもしれないが、もちろん実際には更に下の階級が存在する。
 
 ご存知だと思うが、原発は問題が無い限りは通常年一回の定期点検が必要となる。
 原子炉を止めた後、内部の点検を技術者が行うが、そのために大量の作業員が原発に投入される。その中でも格納容器周辺や容器内部は相当放射線量が高い。そのままでは技術者が入って作業できないので、誰かが放射性物質を雑巾でふき取る作業が必要になる。この「誰か」は電力会社の社員やメーカーの人間ではなく、ドヤ街から集めてきた日雇い労働者にさせるのだ。除染の作業員は技術員が近づける状態になるまで、雑巾で放射性物質をふき取る作業をさせられる。そのノルマは作業時間ではなく、「被曝量が定められた値になるまで」である。
通常は1ヶ月で雇い止めになるが、それまでに体調に変調をきたして辞めていく人も多い。
 恐らく福島事故で問題になっているのと全く同じ構図が、事故が起きていない各地の原発で存在している。
 ある本(後述※)によると、1970~2008年までの累積総被曝線量は約3200人Svに達するが、よく用いられる2007年のICRPの評価基準に従えば、これまでに日本の原発労働者のうち160人が癌で死んだことになり、毎年の総被曝線量を80人Svとすると、毎年4人の癌死亡者が出ている計算になる。もちろん、これはICRPの癌死亡者の値であって、ECRRでは毎年癌死亡者が8人、癌になるが死なない人が16人、遺伝性疾患が3人、4人が心臓病になる。(ICRPの閾値はECRRの2倍と考えると良い)
 ただ、この値も追跡できる人のデータで算出されたものでしかなく、ドヤ街の住人に戻った後に発病しても因果関係の証明は不可能だ。
 このように、日本の原発は弱者を踏みつけることで運営されている。事故が起きなくても死者は出るのだ。


人は弱い生き物で、自分の食い扶持のために他人を見殺しにする場合がある。
私は自分も電気を使ってきたし、自分は特に弱いと思ってるので、それを非難はできない。だが、偉そうな顔をして当然の権利のように主張して他人の命を貪る人間にはなりたくない。


※小学館:原発はなぜ日本にふさわしくないのか 竹田恒泰著
--------------------------------------

 
(´・ω・`)ちなみに今年の夏は扇風機買ってクーラー無しで過ごしました。
うなぎの寝床のような賃貸なので、ドアと窓を開けていれば風が通って意外となんとかなった。冬は風邪で死にそうになった1日だけつけたけど、それ以外はブレーカー毎落としてます。まぁ環境条件によるのでオヌヌメはしませぬ。待機電力もほぼ省電力タップだらけでほぼないし、風呂入ってる時は部屋の電気消すし、TVも見ないし、もう節電するところがない。。。(PCは死守)
賃貸でなければ15A契約でもイケル希ガス。

ま、一人だけやっても社会には影響ないですがね。こんなことであんな思いをしなくて済むように少しでもなるなら安いもの。バ、バタフライ効果とかないかな(;´ω`)c

ちなみに原発関連はまだ続きます・・・。
  立地地域の人間がどう考えているかを知るため、ある原発推進のための地元団体の人が書いた本を読んだ。
タイトルや著者名は出さないが、要は、原発が安全であることや良いところを皆に知らせ、消費地にはこれだけ貢献していると知らせて感謝されよう、という考えのもと出版されたものだ。

  人格の良さそうなことや郷土愛は書いてある内容から感じられる。
 チェルノブイリやスリーマイル島事故については多少技術的に突っ込んで記載してあるにもかかわらず、「日本の原発は外国と違って世界一のレベルだから安全」、「5重の防御があるから大丈夫」、「30年以上安全だったという実績があるからそれが何よりの証拠」、という内容で、日本の原発の安全性について技術的に突っ込んだ話は無かった。科学は疑うことから始まり、宗教は信じることから始まると言われるが、地元民にとっては原発は科学ではなく宗教と同様に捉える人もいると感じた。

 こうまでして原発を誘致したがるのは、前回書いたような先細りの状況を打破するためだ。
青森県の六ヶ所村の村長は、福島で原発を視察した際、「原発を誘致すれば、仙台クラスの発展が見込める」といわれ、決断したそうだ。

 では、原発立地地域での地域振興は上手く行っているのか。
福井県では、人口増加率が数%ずつ増えているという。ただし、原発の立地市町村だけだが。(近隣の市町村は交付金のおこぼれがいっているはずだが減り続けている) 青森県の六ヶ所村は増減を繰り返しつつ40年前に比べてほんの少し人口が減少している。
 ただ、人口が減らないだけでも大きな成果であるらしい。まぁ、元々過疎地でかつ強い地場産業がなかった場所が選ばれるのだから、そういう捉え方もうなずける。

 今回、福島県で補償を受ける農業/漁業/酪農等のいわゆる第一次産業といわれる人の割合は、統計によると全体の一割。2次、3次等のいわゆるサービス系は大抵が原発関連の仕事に従事している。つまり、原発以外の土地振興となる新しい売り物は作り出せず、更には幹線道路や新幹線を通すといった甘い話は夢物語と化している。原発を見るために福島を訪れる人など、業界人でなければまずありえないから、観光客も見込めない。元々交通の便が悪い僻地であるため、他の工場の誘致も難しい。交付金は使途が限られていて自由が利かない。そのうちに、減価償却で廃炉になると仕事も税も無くなるため、そうならないよう原子炉の増設をお願いするなど、まさにおんぶに抱っこ状態。原発があるがために、自然以外何もなかったところが中都市レベルの収入を得られるのだから、原発反対などとんでもない、という人がいるのは当然だ。


 だが、仙台クラスの発展は?人口はほとんど増えないけど?こんなはずでは。。。
・・・原発の立地に関して、条件を定めている法律があり、簡単に言うと「原発の近くに人の住居等が過疎である」必要がある。安全を謳うのとは裏腹に、万が一の際に大都市圏だと大きな被害となるため、このような露骨な法律が定められている。人口が増えないこと前提の法律・・・。更には、地元に金を落とすことで多少のことには目をつぶらせる。装備したら外せない、微妙な効果のある呪いの防具でもつけたようだ。爆発したら致死レベルだが、外せないからこれまでの実績と安全神話で問題ないと言い聞かせて我慢すれば所持金が増える。外せたとしても、原発依存の体質を変えられなければ以前よりも貧乏に。

--------------

 どんなシステムでも絶対安全は存在しない。これは普通に考えれば当たり前の話で、技術者がそんなことを言ったら頭を疑われる。「安全」という言葉は、0~99%の範囲で成り立つものであって、100%などありえない。

 しかし、それがまかり通ってきたのが原発の安全神話だった。恐らく営業的/政治的な考えか、安全という言葉を、0か1かで捉え、100%安全と誤解したのを利用したのか、技術的責任を負わない人間が気楽に言ったのか。
 実際、もんじゅの建設時にはそんな風に話が進み、トラブルで放射性物質が漏れ出した際に約束違反と言われると基準値以下だから安全、という説明がされたという話もある。
 だが、建てる前に漏らさないと誓った約束を基準値以下の水準であれば反故にしてよい、などという論理はおかしい。本来であれば、基準値以下という説明に力を入れるのではなく、最低でも次は起こらないように対策を講じる、というのが筋だろう。
 現在の原発の仕様では、原子炉にカスが溜まるので定期的にベントを開いて放射性物質を放出する。水をフィルターにする等の対策を講じているという言い訳はあるが、福島事故のような緊急でベント解放をする場合にはそんな余裕は恐らくない。別に水以外のフィルター技術が無いわけではなく、スウェーデンでは既にベント解放時のためのフィルターによる除去装置が実用化されている。日本でも一時導入が検討されたが、なぜかウヤムヤになって今日に至っている。

--------------

 「都市部の人は(電気を供給している)我々にもっと感謝するべき」という主旨の発言がある。反原発派も、推進派もどちらもよく言う台詞だ。

地方の特産品を買うのに、消費者側が感謝を強要される?

 最初に聞いた時は違和感を感じた。都市部の人間が色んなエネルギーソースがある中で原発を選択した訳でもなく、かつ、対価として電気代を払っているためだ。更に言うと交付金ももらってるじゃないか、と。

 だが、こんな台詞が出るというのは、やはり何かあった際の不安を感じているために出る言葉なのだろう。絶対安全と信じきっていれば、こんな台詞は出てこない。

 そんな安全神話も、2002年の東電トラブル隠し事件、2007年の柏崎原発火災の後は、絶対安全と言わないよう、誤解されないように指導されるケースが増えてきたという。(つい最近の伊予での原発訴訟では、安全だからという理由で判決が出ましたが)

-----------------

 地元民にとって、既に原発を選択し、既にそこに原発が存在するのだから、電力会社の言うことを信じたいと思うのは自然で、これまで何も問題がないと思っていれば更に疑う必要性が無いように思われる。そして、反原発派のヒステリックに思える主張に対して、耳を塞ぐか反発する。

”あいつらは分かってない。もし電気が止まったらどうするんだ。代替案も無いくせに、無責任なことばかり言いやがって!”



続きます。
 そろそろ書かなければならない。難しい話なので、ずっと迷っていたが。

 まず初めに、何故原発が建てられたかから始めるべきか。

 1950年代、初めてソ連が5000kWの原発稼動に成功し、ついで英国、その次に米国が原潜用のものを引っ張り出して原子力による発電は始まった。当時は、原子力は夢のエネルギーと思われており、原子力が普及したら電気代がタダになる、位のイメージがあった。
 そこで、遅れてはならじと日本政府も原発を建てようとしたが、原爆を2発も落とされている国柄もあり、なかなか計画は進まなかった。しかし、1973年に石油ショックがあり、そこから電源開発を原子力に大きくシフトすることになる。
 そうは言っても原発の安全性への不安は拭い去れる訳ではないため、当時の田中角栄が電源開発を進めるために、目的税、いわゆる電源三法を作った。つまり、電源開発の地元には色んな迷惑が掛かる
ので、税金を投入することで理解を得る、迷惑料だ。

 これにより、原発建設は進んだ。主に人口減少が著しく、地場産業が育っておらず、交通の便が悪い土地に建てられた。

 傍から見れば、金に目がくらんで選択したようにも見えるが、実際のところ、子を育てても仕事も無く、外界との連絡にさえ難渋するような土地で家族一緒で生活し食っていくことが難しい状態であれば、例え不安であっても苦渋の選択であったろうと思う。
 原発を誘致することで、地元に補助金や税金が入るだけでなく、雇用や、更には原発建設や揚水発電施設建設のために立派な道路が山の中にまで出来る事になるのだから。
ある意味、政治力の恩恵を受けてこなかった貧しい地域が狙い打ちに
された、政治の無力さから来たものとも言える。

 上記を踏まえてもらった上で、原発建設によりどのように金が落ちるのかを記します。

 電源三法は元々原子力に限定されないものだったが、1990年以降は原子力に特化する傾向を強めていった。地球温暖化対策という大義名分のためだ。
 電源三法には色々あるが、電源開発促進税(電促税)という税金を電力消費量に比例して課税する。
現行の税率は1000kW/hあたり375円。これらが出力に比例して各原発のある地域へ補助金という形で落ちる。ただし、原発の電源三法交付金は立地した市町村にだけ落ちるのではなく、それに隣接する市町村とで折半することになる。これにより、福島には積算して1215億円ほどが交付されている。
(ちなみに福井は1600億以上交付されているはず)
 これに加え、膨大な固定資産税が地方税として発生する。本来は市町村税だが、あまりにも額が大きいために一定額を超える部分については県が召し上げる形になる。固定資産税以外に、県・市町村民税、事業税、核燃料税が発生するため、交付金の額は税金額に比べて大きいとは言えない。
 ただし原発の運転が開始されるまで税金は大して入ってこないため、交付金については開始以前の段階でむしろ多く支給される。

 ここで気になるのが、電源立地等初期対策交付金相当部分。これは環境影響評価の翌年度から支給される。設置が確定した訳でもなく、着工までまだ2年程度あるにもかかわらず。
 これはつまり、活断層があろうがなかろうが、既に原発建設は決まっていることを意味する。環境影響評価は、建設会社に都合の良いレポートを出す御用学者もいるので、結果は後付けでOK、となるのだろう。

 これ以上、税についての詳細を書く気はないので、もっと知りたい人は以下の本をご参照ください。分かりやすく書かれた良い本だと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%8A%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E8%A8%97%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%8B%E2%80%95%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85-%E5%88%A9%E7%9B%8A%E8%AA%98%E5%B0%8E%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%81%AE%E7%A0%B4%E7%B6%BB%E3%81%A8%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93-%E6%B8%85%E6%B0%B4-%E4%BF%AE%E4%BA%8C/dp/4880375705

 原発立地の市町村や県の長が再稼動になぜ賛成の意を示すか、理由がこれで分かります。交付金や税金により箱物の公共建物を沢山建て、恩恵を目に見えやすく
したは良いが、維持費がそれなりに掛かるため、普段の税収では到底賄えず、再稼動させて税収や補助金が落ちるのを期待している。言い方は悪いが、身の丈に合わない暮らしをしてきたツケと言っても良い。原発立地地域に県庁施設を置かない県知事が再稼動を要望するのを聞くと、色んなおもいがよぎる。


 ただ、これだけの交付金や税金でも、原発事故が起きれば兆単位の被害になるため割に合わないことは明らか。では何故原発を受け入れるかというと、原発は絶対に重大事故を起こさない、という安全神話が語られてきたためだ。


続きます。


4月23日の日記

2012年4月23日 ポエム
 エネルギー供給について、東電のここ4年間の過去の使用電力履歴を見る限り、
最大5000~6000万kW。
 年度により結構差があり、これは猛暑だったかどうかだろう。

 今後の使用量が気になるところだが、東電がどこまで電力供給できるかがはっきり
しない。水力発電所分や稼動していなかった火力発電所分を発表しなかったり、
過少申告した実績もあり、いまいちよく分からない。
 ただ、厳冬だった今年について、東電の供給電力は5200万kW、実際の需要は最大で
5000万kW程度だった。
 つまりは、もし猛暑でなく、火力発電に問題が生じず、かつ東電が供給電力能力を過少
申告していれば、期間停電をせずとも原発無しで何とかなる可能性はある。

 ただ、それも虫のいい仮定なので、最悪を考えてみる。火力発電所で問題が生じ、
数百万kW分の供給が不可能になり、2008年並の猛暑(最大6000万kW)、東電が供給電力
能力を正直に言っている場合。

 実は原発が止まったケースは過去にもある。原発で事故が発生し、他の原発も点検が
終わるまで稼動できなかった時のことだ。その時東電が取ったのは、特別に原発をいくつか
稼動させてもらうよう国に申請し、随時調整契約と言って大口需要者へ安い金額で電力
を調整する代わりに、電力不足の際は供給している電力を止める、といった契約を発効
させ、他の電力会社から電力を融通してもらった。更には火力や水力の出力を許可されている範囲内で+5%アップした。それでも用意できるのは400万kW程度
で、しかも今回は他の電力会社に頼ることは難しいと思われる上、原発稼動が怪しい。


 そもそも、供給電力と需用電力の関係は供給電力=需用電力x1.06~1.08程度が最低限
安全ラインのようだ。(過去のデータ見て言っているだけなので、実際の安全率知って
いる人いれば教えてください。多分そんなに離れてないと思いますが)
 供給電力が需要を必ず上回っている必要がある理由は、電力供給が交流であるためだ。

 ものすごく単純に話をすると、直流の場合は、ダムをいくつか連ねているような川に水を
流していくと、流れた水があるダムを満たすと次のダムに流れていく、というイメージ。
ある程度の水量が溜まらないと次のダムに流れていかないのだが、少なくとも水が一定量
溜まったダムは水が使える。
 だが、交流の場合は、全てのダムに対して水を一斉に流す形になる。流す水の量が
少なければ、どのダムも十分な水量が溜まらず、結果としてどのダムも使えなくなる。
 さらに、実際は発電機の過負荷を抑えるために電気をシャットアウトする機能が働くので、
こうなるとしばらくどこも停電したままとなる。

 では発電量をコンピュータでピーク電力需要に応じて調整すればいい、という話になるが、
話はもう少し複雑だ。特定の時間帯に突然需用電力量が跳ね上がることがあるからだ。
 グラフで見ると、スパイクと呼ばれる形状で、瞬間的に数値が跳ね上がってすぐ
に元に戻る。これはいかに出力調整が得意な火力発電であっても対応できるような
ものではない。だからこそ、上記で述べた安全率で常に供給電力に余裕を持つ必要
がある。一瞬でも上回れば全て停電するからだ。
 こういう現象は、例えば出社して9時に皆一斉にPCを立ち上げる、というようなことで起こりうる。(いわゆるログインストームのようなもの)
 電気機器が電力を消費するのは起動時が最大なので、こういう状況ならスパイク
も発生しやすい。


 そもそも供給電力能力が足りるのか、という点もある。最悪のことを考えた場合もまた、
何もしなければ上記の状況に陥りうる。

 今言われている自然エネルギー発電を進める?それはいいが、コストや安定供給の点は?
残念ながら、自然エネルギー発電はどう考えても直近の問題を解決できない。 
 過去に、原発を推進しようとした日仏独のうち、ドイツが自然エネルギー発電大国になった
ことは有名だ。最大出力だけで言えば、ドイツの火力発電(原発?)と自然エネルギー発電の割合は
ざっくり言って5:5。やれば出来る、と言いたくなるが、実際のところ全体の供給電力の4/5は火力発電による。
つまりは自然エネルギーは安定供給するに難しいということだ。だから、100万kWの自然
エネルギー設備を作れたとしても、実際の出力は半分以下だった、ということが起こりうる。
どう考えても火力の方がコストや安定供給能力という点で遥かに優れている。

 では、火力発電をもっと作れば?
実はこれも直近の問題を解決できない。原発ほどではないが、環境調査や土地取得のために
年単位で時間が掛かり、まともな手段ではまず直近の問題解決は不可能。

 となると、残念ながら、状況によっては現在持っている設備、つまりは原発を動かすか、計画
停電を実施するしかない。

  原発を動かせるなら話は簡単。こんなことをグダグダ書く必要はない。

 ではまた計画停電?しかし、東電が馬鹿でなければ昨年のような画一的な計画停電は実行
しないだろう。
消費電力ピークは大体13~15時、安全を見ると11時~16時に集中しており、裏を返せば
その時間帯の電力消費を避ければ何とかなる可能性がある。
 たとえば工場であれば、12~13時の昼休みを13~14時にずらす、出社や退社を一時間
早めたり遅めたりすることで、システム起動に掛かる起動電力分の消費を分散させる。
 まだ夏までに時間があるので、まとめ役を作って各工場で調整計画を立てられれば
少ない負担で計画停電をせずにいけるかもしれない。更に、各工場でも停電に備えて巨大な発電機が既に設置されているところが大半なので、昨年ほどダメージは食らわないと予想している。

 もちろん、家庭での電力消費にも気を使わねばならない。が、そもそもの家庭の電力消費は
工場のそれと比べて大したものではないので、節電を心がけてもらうくらいでいいと思う。
 少なくとも、昨年は主婦が大活躍してピーク時でもないのにクーラーもつけてくれなかったと
ぼやく同僚が沢山いたので、割と期待出来ると考えている。

 東電の管轄では、気温が30℃以上になると1℃上昇するごとに約170万kWの電力需要が発生すると言われているが、今年は厳冬だったので、冷夏になることを期待している。後は、東電がどこまで正直に供給能力を出しているか、によって、ここの項の結論は変わる。

2011年は公私ともに最悪の年だったので、是非今年は幸運な年であって欲しい。

当時

2011年12月7日 ポエム
311の直後の私の行動を覚えてる限り書いてみます。

3/11:
地震の後、歩いて帰って23:00に家に到着。その時点で放射能漏れのニュースらしきもの確認。

3/12:
福島と東京の中間地点である茨城のモニタリングポストのチェック。
http://www.houshasen-pref-ibaraki.jp/present/result01.html
この時点では全ての数値が地震の影響により「点検中」となっており、ネットで
情報収集。この時点で窓を締め切り換気扇の類は全て停止。

3/13:
茨城のモニタリングポストが復旧し始める。この時点で大体50nGy/hと平常値と
それほど変わらず。しかしネットやTVでは異常事態の状況が消えなかったので
監視継続。

3/13夜:
 茨城のモニタリングポストで若干数値が上がる。100~200nGy/h程度。
この時点で異常だと思い、茨城方面の営業と相談。

3/14朝:
相変わらず数値は200nGy/h程度を推移。若干上がったまま。

3/14昼:
3号機爆発。数値は変動少なし。

3/14夕方:
ニュースでセシウム東京到着の報道。同僚が動揺して対処を何故か
聞いてきたので、とりあえず家から出ずに洗濯物も出すなと。
深夜まで残業で仕事のミーティング(orz)だったので、モニタリング
ポストの値は寝る前に確認。この時点でも数百レベルだった気がする。(記憶曖昧)

3/15朝:
モニタリングポストの数値を見ると、5000nGy/s辺りで安定。
いきなり通常の100倍になったので、電車止まれと祈ったが停電区域でなく
暗い気持ちで出社。

3/16以降:
5000nGy/s辺りで安定。
確か2ヶ月くらいしてやっと150くらいに戻ったような記憶があります。


ちなみに、実際の数値は以下にも降下量の数値があります。
事故後1週間が勝負、という説は本当でした。

https://spreadsheets.google.com/spreadsheet/pub?hl=en&key=0AjgQ0pwrXV8YdGJORHAzdi1qMlFldUMwRkl4V3VfN0E&hl=en&gid=0

風速4m/sで間にさえぎる物が無く、風向が変わらない、という条件では
原発-新宿間で250kmなので、

250[km]x1000[m/km]/4[m/s]=62500sec
62500[sec]/60[sec/min]/60[hour/min]≒17.5hours

非常にざっくりした計算なのと、茨城のモニタリングポストが寝ている間に
どう推移したかまでは確認できていないのですが、爆発時に最も多く放射性
物質が飛び散り、それに比例した量の放射性物質が到達していることは後の
データからも確かです。風速や最初の爆発の初速が加味されていない点が
抜けてるので、厳密にはこれより複雑だと思いますが、早くとも12時間は
掛かると思います。
 当時は、TVや気象庁は風速や風向の情報を目立つように出さなかったですから
こんな計算でどうするかを考えて監視していました。
私は少ししてから海外のサイトで風向や風速、その他もチェックしてましたが
当時は正直その情報を持っておらず確認できてません。
 
まぁ、リアルタイムで情報を得ていればいつ頃に放射性物質が到着するかは
分かります。すくなくとも国はあの時その予測情報を持っていたはずです。
花粉情報も予想できるんですから。

(´・ω・`)自分としては急造の知識の割に当時割と正しく行動出来ていたのではないかと思います。万が一茨城のモニタリングポストで数値が変動後、6時間位は東京到着までの時間の猶予があると思っていました。

ちなみに、食べ物の話も結構判断あってたと思います今見ると(;・ω・)悪い予想だけ当たる・・・
内部被曝を減らすためのあれこれ
http://85406.diarynote.jp/201108162141567904/

野菜のセシウム吸収率の件は、根っこの深さが大きな要因だと最近気づいた。
明太子は高級品じゃなきゃ大体外国産ですた。魚も大半は外国産かも。

こんな経験や情報が役立つ日が二度と来ないことを本気で願います。
若干酔っ払って書いてます。

元々人間には、心理学者ジェームズ・オールコックのいう「信じたがる脳」を
持っている。「それを信じることで何らかの利益が得られることが、生き延びる上で
有利に働くから」と考えられている。

元々小さな子は新しい情報を信じやすい。
まだ知識がなく、判断する基準を持っていないためだ。急いで色んなことを
学ばなければならない子どもにとって、「信じたがる脳」は生き残る上で必要不可欠
になる。だから、これはDNAレベルで持っている傾向と言える。

例えば、集団生活をする上でフグやキノコを食べて体調が悪くなったという
情報が他人から聞いてそれを信じることでリスクを回避することができる。
これは、その他人の信頼度が高くて情報量が多いほど利益を得られやすく
なる。

--------------

現代は情報社会だ。
他人からインターネットを通じて容易に情報を得られるようになった。
しかし、残念ながらそれは容易に騙されやすくなると言うことをも意味する。
おまけに、世間は一つのことを信じて信念を貫く姿勢を尊しとし、疑いを持つ人間を
「心が捻じ曲がってる」だの、「皮肉屋」として軽蔑する傾向にある。

もちろん、信念を貫くということは尊い。信念を持つことで積極的に生きることも
可能だ。だが、オウム真理教や他の破滅的宗教のように狂気を含んだ信念を持って
しまった場合には、非常に危険なことが起きる可能性もある。

------------------------------

では人はどのように物事を信じるか。
大雑把に言ってしまうとパターン。

ある事象を見たり遭遇したりすると、過去の経験や知識から似たようなことが
ないかどうかを考え、それに当てはまるものであれば信じやすくなる。
逆に言うとその事象に当てはまらない経験や知識があれば信じにくくなる。
(「信じたがる脳」であるように、信じる力の方が強いが)

お化けや幽霊、UFOを知らない人間は、そのようなものを見てもそれが
超常現象であるとは思わない。自分にそういったパターン情報がないためだ。
ただ、それが超常現象であると教えられると、パターン情報がない人間は
判断が出来ずに容易に信じてしまう。「信じたがる脳」が働くから尚更だ。

-----------------------------

東北産の野菜や肉・魚が危険だというと、「風評被害だ」という反論が返ってくる。
子供の給食も不安だというと、これも「風評被害」。静岡のお茶も「風評被害」。

放射性物質を含んだ塵を吸い込んでも、基準値を超えた食べ物や水を飲んでも
「ただちに健康に問題はない」。

3.11以降、今僕等は2通りのタイプに分かれてしまっている。

なんでもかんでも安全だ、という人間と、なんでもかんでも危険だ、という人間。
この状態には、その辺りの知識や経験(パターン)がない人間が陥りやすく、その
時周りにいた人間がどのような教え方をするかですぐに信じる内容が決まる。

なんでも危険という人間が一方的に風評被害を招いていると考えられやすいが、
実は、風評被害を作り出しているのはこの2通りだ。

-----------------------------

かたや小学校の図書館には大抵”はだしのゲン”が常備されており、そうかと
思えば国策の原子力は安全で夢のエネルギーと教えられる。
 チェルノブイリ事故の悲惨さを報道してきたTVが、ウクライナの基準値(40Bq/Kg)を
知らせずに暫定基準値(500Bq/Kg)でも安全で直ちに影響はないとのたまう。

何を信じればよいのか。

更には日本は外国と違い世間体を大変気にするお国柄。

汚染された食物を買わなかったら生産者が生活できないじゃん!国の財布だって
限度があるよ!すぐに確実に死ぬわけじゃないんだからいいじゃん!国だってただちに影響はないって言ってるのに疑うの?性格わる~いwでももし病気になったら
自己責任で宜しくね!お互い様だから!

自分だけ助かろうったって正々堂々とはとてもではないが出来たもんじゃない。
そうやって皆が茹で蛙になっていく。

---------------------------

何を信じればよいのか。

まずは科学的に考えること。その数値は高いですか?低いですか?その根拠は?
科学的に考えた結果導き出される将来の予想はどうですか?それは再現性がありますか?
他のデータも同じような結果が出ていますか?

こんな感じで考えていけば大体何を信じればよいかは判断できる。
ただし、数値を公表せずに安全だというものは科学的に判断できないものだから
信じる必要はない。”ただちに影響がない”が、”いつ影響が出るか”を言わないなら
その言葉は信じるに足りない。

逆に、危険だというばかりでその根拠が提示されず根拠を見つけられない場合も
疑う目を持たねばならない。危険を煽る方が注目度は上がる。それに目をつけて
危険なイメージで報道すると鵜呑みにする人も出てくる。そして訳も分からず
危険と言って煽ることになる。ただし、情報が不十分な状態に置かれたら
仕方のないことでもあるが。

震災直後の政府は、「情報を与えたらパニックになる」と国民を子ども扱いし、
大人や教育者までも政府の言うことを信じたがった。未成年に自ら考える力を
つけるための教育機関も、単なる試験勉強の場でしかないと大人が考えている
ことがばれてしまった。
でも、今でもあの時の国の考え方に納得している人がいたりする。情報を与えない
ことでもパニックになりうるのに。非常に残念だ。

----------------

今後、発病する人も出てくると思う。
それが原発のせいかどうかは今の状態では証明できない。何かが原因で健康に影響があると
証明するには、長い期間を掛けて疑わしい物質を与えたりして動物実験をする必要がある。
だから、今から動物実験を始めてほしい。きっと長いこと掛かるし、犠牲になる動物も
本当にいい迷惑だと思う。こんなことを言う自分もアレだとは思うが・・・今の政府の状態で研究費が
出るかすらも分からない。だから、こういう声を上げるのも今の自分の義務だと思う。

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索