昔、少し考えたことがあったので何となく書いてみる。

攻殻機動隊劇場版「イノセンス」での女医の言葉で、
ロボットと人間の違いとは何?というくだりがある。

 科学が進歩して、ものすごく精巧にロボットが作られたら、
ロボットと人間の違いなどなくなるのではないか?
 ロボットを見た目をほぼ全く同じに出来、死=耐久年数切れ、
生理的反応を付加し、人の行動パターンを幾万種類も記録
して取捨選択してしまえば、人との違いはなくなる。
(もちろん上に挙げた以外にも違いについての例は沢山あるが、
その全てについて違いをなくす工夫をしたと仮定)

本編である攻殻機動隊2ndGigでは、その解をゴースト(魂のようなもの)が
あるかないかを違いと考えている。
 そしてそのゴーストをロボットに通じる言葉で言うと「個性」
、または「個性由来のもの」として捉えている。
 そして、それを発生させるものが○○心である、と言っている。
(ネタばれ防止のため伏字)

では、そもそもロボットのAIが人間の心、精神を持つことが出来る
のか、という点が問題になるが、この作品ではその部分については
触れられていない。

一方、古典哲学であるデカルトの有名な言葉、
「我思う、ゆえに我あり」
を引用してみると、違う視点が見えてくる。
(思い返してみれば、学生時代に英語担当教諭がこの言葉を
"I think, therefore I am."
と訳していたが、原文の意を考えると誤解を招きやすい誤訳だと思う)

哲学や宗教は、全ての生物に必ず訪れる死を考えないように、あるいは厳しい生を何とか受け入れられるようにするためにつくられた学問だと思う
 機械に死は存在しない。機械は壊れはするが、パーツを換えることで甦る。つまり物質と切っても切れない関係にある。
 それに比べ、デカルトの言葉は、まさに肉体と精神を二分し、肉体に関わらず精神=魂がそこにあることを述べている。
 また、機械がいくら人間に見た目や思考が近づいていったとしても、明らかに物質に依存した擬似生命のみであり、また、生物であるが故の哲学のようなものも必要としない。

つまり、人間の視点で言えば機械はどれほど進化しても人間(生物)にはなり得ないだろう。
 我々と違う死をも超越したような存在がいれば、今後進化していく機械を別の次元での生物として認定するかもしれない。

(・ω・)神様ならどう答えるんだろうね、イノセンスの質問。

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