最近インド関連の本ばかり読んでいます。
(´・ω・`)行きたいなぁ・・・リーマン・ショックさえなければ(略)
ところで、仏教用語で無とか空とかありますよね。私あまり詳しくないですが。
以下は日記というよりメモ。オチなどありません。
元々のインド仏教の無や空は単純に0(ゼロ)を意味する言葉であったのですが、中国仏教になって翻訳される過程で小難しい意味がついて分からなくなってしまいます。
http://osiete.blogzine.jp/tanni/
そして日本について更に変質し、日本仏教ではまさに訳の分からん状態になっています。
ご存知のように、0の概念はインド人が発明したという話があります。
彼らの宗教観は大雑把に言うと救済というより輪廻転生に関するものです。
つまり、現世や来世で功徳を積めば、その次の生でより高いステージの
人物に生まれ変われる。
この辺の感覚から、0の概念は生まれたのでしょう。今乞食をしていても、
僧にミルクをあげる行為をすることで来世では更に高い身分になる。
人生は何度でもリセット可能なんですね。生まれて死んでまた生まれる。
それが普通のループなのかメビウスの輪なのかは知りませんが、0の概念が
生まれる理由が分かる気がします。
でもこの場合は、+あるいは-に振れてからまた基準値に戻るわけなので
0とは「今は全く何も無く、今後も何も無い」という意味ではなく、大いなる
可能性を秘めている、と。
∑(゚Д゚;)仏教用語と同じ意味じゃん!!
(´・ω・`)仏教用語もうちょい分かりやすく書いてくれれば、一般人も
分かるんですけどね。小難しく書きすぎ。
ちなみに、ヒンディー語には明日と昨日を意味する単語が同じkal(カル)という
言葉で、明後日と一昨日もparso~(パルソン)という一つの単語だけで意味する
そうです。
そのまま使うと訳が分からなくなるため、動詞の変化(日本語では、する、した等)で何時を示すのか表現するそうですが、こういうところからもインド人が如何に
時間をループするものと捉えていることが分かります。皮膚感覚で輪廻転生を
感じている国というのはどんなのだろう・・・。
(´・ω・`)行きたいなぁ・・・リーマン・ショックさえなければ(略)
ところで、仏教用語で無とか空とかありますよね。私あまり詳しくないですが。
以下は日記というよりメモ。オチなどありません。
元々のインド仏教の無や空は単純に0(ゼロ)を意味する言葉であったのですが、中国仏教になって翻訳される過程で小難しい意味がついて分からなくなってしまいます。
http://osiete.blogzine.jp/tanni/
そして日本について更に変質し、日本仏教ではまさに訳の分からん状態になっています。
ご存知のように、0の概念はインド人が発明したという話があります。
彼らの宗教観は大雑把に言うと救済というより輪廻転生に関するものです。
つまり、現世や来世で功徳を積めば、その次の生でより高いステージの
人物に生まれ変われる。
この辺の感覚から、0の概念は生まれたのでしょう。今乞食をしていても、
僧にミルクをあげる行為をすることで来世では更に高い身分になる。
人生は何度でもリセット可能なんですね。生まれて死んでまた生まれる。
それが普通のループなのかメビウスの輪なのかは知りませんが、0の概念が
生まれる理由が分かる気がします。
でもこの場合は、+あるいは-に振れてからまた基準値に戻るわけなので
0とは「今は全く何も無く、今後も何も無い」という意味ではなく、大いなる
可能性を秘めている、と。
∑(゚Д゚;)仏教用語と同じ意味じゃん!!
(´・ω・`)仏教用語もうちょい分かりやすく書いてくれれば、一般人も
分かるんですけどね。小難しく書きすぎ。
ちなみに、ヒンディー語には明日と昨日を意味する単語が同じkal(カル)という
言葉で、明後日と一昨日もparso~(パルソン)という一つの単語だけで意味する
そうです。
そのまま使うと訳が分からなくなるため、動詞の変化(日本語では、する、した等)で何時を示すのか表現するそうですが、こういうところからもインド人が如何に
時間をループするものと捉えていることが分かります。皮膚感覚で輪廻転生を
感じている国というのはどんなのだろう・・・。
コメント
西洋の臨床心理学とか退行催眠療法辺りだと、死後の形として輪廻転生が意識されてたりもする。
でももともと死後は神様のもとで平等に幸せ=キリスト教だから、西洋に輪廻転生の意識が出たのはそんなに古くない話なのかも。
仏教はそこまでオープンじゃないから、情報が分かり辛かったり、行ってみないとわからないことも沢山ありそうねぇ~。
日本仏教は明らかにインド仏教と違いますからね。大体が戒名に値段が付いていたり、墓があったり、、日本の宗教は宗派問わずすべからくビジネスだな~と。ちなみに、死後は神様の下で・・・というのは原始キリスト教にはなかったような(うろ覚え)。死後の世界の概念を作り出すのは大体商売のためですしね。
(´・ω・`)まぁ色々書いたんですが、いいんですよ何でも。とりあえず行きたい。行ってから自分がどう感じるかを知りたいんですね、彼らがどう感じているかを知る、というよりも。