今日はせっかくの休暇なので瑞臨寺(ずいりんじ)に行ってきました。
(個人的に正月とかイベントの感覚あまりないのでスルー)
何故行ったかというと、「沈黙」の主要キャラであるフェレイラの墓が
長崎の晧臺寺(こうたいじ)から東京谷中にあるその寺に移されてると
聞いたから。
後、その辺に引越しも考えていて、谷中には猫が多い(!)という噂を確認したかった、というのもあります。
瑞臨寺というのはあの辺では一番大きなお寺だそうで、墓が沢山あってとても
自力では探せなかったので、住職の方にお聞きしました。
フェレイラというのはWikiで見てもらうと以下になりますが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A9
簡単に説明すると、鎖国とキリスト教迫害の真っ最中に日本に密入国し、
24年間もの間布教を行ったのですが、結果的に捕まり、その後の拷問で
穴吊りの刑で棄教し、その後捕まったキリスト教関係者の尋問や説得を
行いました。
棄教後に日本人女性と結婚し、沢野忠庵という名を与えられています。
捕縛時の彼は司教クラスの地位にあったといい、日本人に分かりやすく
その地位を説明するのならば、一国一城の主レベルの地位にいた人だった
そうです。そんな人が棄教した、ということでその当時はかなりの衝撃が
走ったらしい。
実は去年の夏に晧臺寺へその墓を探しに行き、空振りだったのでいつか
行きたいと思っていました。
で、添付したのがその墓です。
一生の大半を掛けてキリスト教を勉強し、信じた人が、その後の人生で
それまでの人生を否定しなければいけなかった。その想い、苦悩の片鱗でも
感じられれば、と思ったのですが、、、良く分かりませんでした。
やっぱり移動されていたせいか、すごい字も小さいし、ひっくるめて入れられて
いるようで・・・うーん。社会的に例えキリスト教を否定しなければいけない
立場であっても、心の底のどこかではキリスト教を信じていたのではないか、
そう思うと、異国の地で倒れた後に異教のやり方で葬られたのは気の毒だ、
そんな想いもあって来たのですが・・・。
シーンとした墓地でしたが、風が通る度に卒塔婆が重なり合ってガタガタと
耳障りな音を立てていたことだけ印象に残っています。
ちなみに、お寺を叩くつもりではないのですが、xx居士とかxx院とかいう
戒名、値段があるんですよね。最安で10万だった気がします。
元々は貴族が死後住むための住居を建てたりしたためにxx院とか名前に
ついていたのですが、今は庶民でも払うお金の額でそういうのが付きます。
・・・死んでから自分の人生や肉親の人生の価値をそんなもので評価される
のはなぁ、と思うと嫌な気がします。
墓も、江戸時代までは名のある武士でさえ膝より下くらいの高さの墓(?)
で、庶民には(日本には)墓を作る習慣はそれまで無かったそうです。
金が絡んでこういう習慣が定着していったんだと思いますが・・・
元々日本は土葬の習慣で、近代化してきた最中に火葬に変わっています。
その火葬のオリジナルともいえる影響を与えたのはインドだそうで、その
インドでは基本的に墓は作りません。全てガンジスに流すのです。
日本でガンジスにあたるものがなかったとはいえ、死んでも金は持って
いけない、プライドや地位も持っていけないのに、墓地や戒名という
余計なモノが付いてくる日本の現代習慣には抵抗を感じます。
(´・ω・`)脱線しまくりですが、仕事ストレス溜まってるので、また長崎
行きたいです。今度は雲仙に行ってみたい。時間があればまた遠藤周作
記念館も。
(個人的に正月とかイベントの感覚あまりないのでスルー)
何故行ったかというと、「沈黙」の主要キャラであるフェレイラの墓が
長崎の晧臺寺(こうたいじ)から東京谷中にあるその寺に移されてると
聞いたから。
後、その辺に引越しも考えていて、谷中には猫が多い(!)という噂を確認したかった、というのもあります。
瑞臨寺というのはあの辺では一番大きなお寺だそうで、墓が沢山あってとても
自力では探せなかったので、住職の方にお聞きしました。
フェレイラというのはWikiで見てもらうと以下になりますが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A9
簡単に説明すると、鎖国とキリスト教迫害の真っ最中に日本に密入国し、
24年間もの間布教を行ったのですが、結果的に捕まり、その後の拷問で
穴吊りの刑で棄教し、その後捕まったキリスト教関係者の尋問や説得を
行いました。
棄教後に日本人女性と結婚し、沢野忠庵という名を与えられています。
捕縛時の彼は司教クラスの地位にあったといい、日本人に分かりやすく
その地位を説明するのならば、一国一城の主レベルの地位にいた人だった
そうです。そんな人が棄教した、ということでその当時はかなりの衝撃が
走ったらしい。
実は去年の夏に晧臺寺へその墓を探しに行き、空振りだったのでいつか
行きたいと思っていました。
で、添付したのがその墓です。
一生の大半を掛けてキリスト教を勉強し、信じた人が、その後の人生で
それまでの人生を否定しなければいけなかった。その想い、苦悩の片鱗でも
感じられれば、と思ったのですが、、、良く分かりませんでした。
やっぱり移動されていたせいか、すごい字も小さいし、ひっくるめて入れられて
いるようで・・・うーん。社会的に例えキリスト教を否定しなければいけない
立場であっても、心の底のどこかではキリスト教を信じていたのではないか、
そう思うと、異国の地で倒れた後に異教のやり方で葬られたのは気の毒だ、
そんな想いもあって来たのですが・・・。
シーンとした墓地でしたが、風が通る度に卒塔婆が重なり合ってガタガタと
耳障りな音を立てていたことだけ印象に残っています。
ちなみに、お寺を叩くつもりではないのですが、xx居士とかxx院とかいう
戒名、値段があるんですよね。最安で10万だった気がします。
元々は貴族が死後住むための住居を建てたりしたためにxx院とか名前に
ついていたのですが、今は庶民でも払うお金の額でそういうのが付きます。
・・・死んでから自分の人生や肉親の人生の価値をそんなもので評価される
のはなぁ、と思うと嫌な気がします。
墓も、江戸時代までは名のある武士でさえ膝より下くらいの高さの墓(?)
で、庶民には(日本には)墓を作る習慣はそれまで無かったそうです。
金が絡んでこういう習慣が定着していったんだと思いますが・・・
元々日本は土葬の習慣で、近代化してきた最中に火葬に変わっています。
その火葬のオリジナルともいえる影響を与えたのはインドだそうで、その
インドでは基本的に墓は作りません。全てガンジスに流すのです。
日本でガンジスにあたるものがなかったとはいえ、死んでも金は持って
いけない、プライドや地位も持っていけないのに、墓地や戒名という
余計なモノが付いてくる日本の現代習慣には抵抗を感じます。
(´・ω・`)脱線しまくりですが、仕事ストレス溜まってるので、また長崎
行きたいです。今度は雲仙に行ってみたい。時間があればまた遠藤周作
記念館も。
コメント
eeee(@@"!!
その苦しみは分からないけれども、"他の者"の信仰心が汚れなかった事に黙祷です。
共感を抱くんですよね。
当時のキリスト教は明確に「棄教するくらいなら死ね」という教えを行っていました。より良く生きるための宗教であるために自殺(ニュアンス違うけど)を推奨するのであれば、彼らが信じていたそういう神様の貌ってどんな顔をしてるんだろうと
思ったり。