フェレイラの墓を訪れた時に、何かを感じたかったが何も分からなかったと書いたことを思い出した。
24年もの間、弾圧で非常に厳しい状態の日本で布教を続けたフェレイラ。
生まれた時に無宗教で、昨日今日入信した人間が容易に出来る諸行ではない。
そういう人間が、穴釣りの刑で一夜で棄教した。
それを責められるか?棄教しないのが当然と言えるのか?
こういうことがあると、脳が本当に知りたいことはBackgroundで処理しているといつも感じるが、本当に脳というのは(一般的に)優秀だと思う。
穴釣りを試練と言う言葉で片付けるのは簡単。
だが、24年の重みはどうなる。映画等では、キリストの受難の際には地が鳴り、
天が裂けたりする。しかし、フェレイラには救いが無かった。
あったのはただ転びバテレンとしての不名誉だけ。
日本人には理解し難い感覚として、西洋人には一神教という土壌がある。
日本人には八百万の神がおり、その神々は全てが絶対正義ではないが、
どれも完全悪ではない。つまりは、皆それぞれいい面がある、という解釈。
それに対し、西洋人の一神教はそれが絶対正義、という概念。
その存在、必要性を立証するために、西洋では数百年もの時間を掛けて
ロジックを積み木を積んでいくように組み立ててきた。
フェレイラもエリートパードレとして、そういったロジックを組み立てたに
違いない。
それが崩れた時、何も起こらなかった。
その時の虚無感、これまでの人生の自己否定、信じるものの喪失、そういった
感覚を抱きつつ生きていくには、キリスト教へのやり場の無い憎悪によっていく
しかない気がする。
そして、その憎悪を抱えつつ信じてもいないであろう仏教により墓に葬られた。
無念、憎しみというよりこれはもう虚無感になるのではないか。
本人でなければ分からないことではあるが、ふとそう思った。
ちなみに、Cloが良い、Eduが良い、という主張も一神教に似ている。
NWや6dは明らかにClo信望派に見える。
うちは・・・多分多神教なんだろうな。そういうところに一神教が来たとしても
神が一つ追加される形で吸収される。
この一神教、何であれば完全に正しいかが分かれば多神教の邪教さが説明出来て
いれば、Regi改革が楽なのだが・・・。
24年もの間、弾圧で非常に厳しい状態の日本で布教を続けたフェレイラ。
生まれた時に無宗教で、昨日今日入信した人間が容易に出来る諸行ではない。
そういう人間が、穴釣りの刑で一夜で棄教した。
それを責められるか?棄教しないのが当然と言えるのか?
こういうことがあると、脳が本当に知りたいことはBackgroundで処理しているといつも感じるが、本当に脳というのは(一般的に)優秀だと思う。
穴釣りを試練と言う言葉で片付けるのは簡単。
だが、24年の重みはどうなる。映画等では、キリストの受難の際には地が鳴り、
天が裂けたりする。しかし、フェレイラには救いが無かった。
あったのはただ転びバテレンとしての不名誉だけ。
日本人には理解し難い感覚として、西洋人には一神教という土壌がある。
日本人には八百万の神がおり、その神々は全てが絶対正義ではないが、
どれも完全悪ではない。つまりは、皆それぞれいい面がある、という解釈。
それに対し、西洋人の一神教はそれが絶対正義、という概念。
その存在、必要性を立証するために、西洋では数百年もの時間を掛けて
ロジックを積み木を積んでいくように組み立ててきた。
フェレイラもエリートパードレとして、そういったロジックを組み立てたに
違いない。
それが崩れた時、何も起こらなかった。
その時の虚無感、これまでの人生の自己否定、信じるものの喪失、そういった
感覚を抱きつつ生きていくには、キリスト教へのやり場の無い憎悪によっていく
しかない気がする。
そして、その憎悪を抱えつつ信じてもいないであろう仏教により墓に葬られた。
無念、憎しみというよりこれはもう虚無感になるのではないか。
本人でなければ分からないことではあるが、ふとそう思った。
ちなみに、Cloが良い、Eduが良い、という主張も一神教に似ている。
NWや6dは明らかにClo信望派に見える。
うちは・・・多分多神教なんだろうな。そういうところに一神教が来たとしても
神が一つ追加される形で吸収される。
この一神教、何であれば完全に正しいかが分かれば多神教の邪教さが説明出来て
いれば、Regi改革が楽なのだが・・・。
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