誰かさんにも言ったが、物事の事実を争う上での日本語の「事実」という言葉は誤解を
招きやすい。より抽象的な物事を含んだ「真実」の事を指す場合もあるからだ。

しかも、それを考慮しないとしても事実自体を正確に言い表すのは非常に困難だ。

例を挙げると、

・桃色の桜の花が咲いている。

上文は事実の一端を含んでいる。しかし、全くの事実かというとそうでもない。
これを読んだ人間が思い浮かべる桃色の色や、桜の種類が一定ではないからだ。

更に言うならば、例えそれらの条件が奇跡的に同じであったとしても、
時間が経てば花は色褪せ、2週間後には散ってなくなって事実自体の存在すら危うい。
 つまり、感傷的な言い方をさせてもらうと、こんな単純な表現でさえ人間が言う事実とは非常に儚いものでもあるのだ。

だからこそ裁判などではあれだけの時間と労力をかけて事実認定を争う。
マスゴミはそれらの条件や情報の中で制限をかけて事実を開示することが多いため、彼らの言っているのは彼らにとっての事実、真実レベルで考えた方が良い。
なんせそれで金もらってるからね。商業的な意味での情報操作を否定する気はないが、批判されても仕方が無い程度には余地がある。

横道にそれてみる。

思想は色んな考え方の中で必要な考え以外を制限していくものだ、と、ものの本で
読んだことがある。
 好き嫌いもまた同じで、色んなものや人を物理的、精神的に拒絶してゆく。

思想が異なる人間の発信する事実を受け入れるのは、それゆえ非常に難しい。
単なる事実ですら正確な表現が難しいのに、更に輪をかけて受け入れられる難易度
を上げることになる。

だから、他人を公的な場で批判するのは難しいのだ。そのシーンを共有していない
人間にどちらが正しいかなんて分かりはしない。例え好き嫌いフィルターが働いて
いないとしても。
愚痴とか悪口なら良い(?)けれど。愚痴や悪口に誰が正しいかなんて無いからね。


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