「中国の危ない食品」周(京へんに力)著、
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百数十年前の中英間の貿易では、こういうエピソードに満ちていたという。
当時のイギリスでは、独りよがりな中国幻想があった。新聞にはしばしば「数億の中国人がシャツの袖を1インチ長くするだけで、イギリスの紡績工場は数十年分の仕事が得られる」という記事が載っている。~~
ところが、当時の大清帝国の臣民たちは、自給自足で十分やっていた。イギリス人がはるばる生みを超えて運んできたラシャや綿布、各種の機械は、はなから受けつけない。これに対して、イギリス側の中国茶葉や絹製品への欲求は日増しに高まっていった。イギリス政府は拡大する輸入超過の圧力に悩むことになった。
自由貿易を求めるイギリスの外交使節団は、海を渡って頻繁にやってきたが、われらが尊大なる康熙帝、乾隆帝や嘉慶帝らは、こう回答している。
「大皇帝は万国に君臨し、その恩四方に及び、内地外夷を問わず、いずれも大皇帝の百姓なり。たとえ西夷の時計、ラシャ、羽毛のたぐいが立派でも、しょせんは中国に必需のものにあらず。しかしながら今日その通商を許したるは、大皇帝の外夷子民を憐れみ、一視同仁の恩典なり」
「天朝の恩、各国の貿易の求めを許したるは恩寵大なり。しかして各国民商人どもはひたすらその恩を感じ、帰化し、食欲無尽はならず、いたずらな紛糾あってはならぬ」
「時計、ラシャのもの、天朝の必需にはあらずが、茶葉、生糸は汝の国にはなくてはならぬものなり。この天朝、遠人に恵を垂らしたることを知れば、願い、いまだ不十分というなかれ・・・」
六ヶ月と二十日を費やして、ようやく1816年に中国に到着したイギリス国王の特使マースト卿は、叩頭など中国式礼儀を欠き門前払いをくらうと、本国に対して三つの処理案を提出した。すなわち、一、武力で中国に合理的条件にもとづく管理下の貿易を迫る。二、中国が制定した一切の制度に絶対服従する。三、中国との往来を絶つ、である。
大英帝国は第一案を選び、アヘン戦争を起こした。その結果、神秘的で豊かな中国の地は、イギリス植民者たちの無尽蔵の財布となり、彼らの工業製品の一大市場となったのである。
アヘン戦争から数十年のち、アメリカもまた中国市場の開拓を始めた。彼らは黒船と巨砲を使うほかに、イギリス以上に巧妙で効果的なやり方を考えた。
アメリカのある石油会社は中国の灯りに着目し、ランプ用の石油を売りこもうとした。だが、菜種油や桐油を使い慣れた中国人は、どうしても石油を受けつけない。そこで、中国通のある社員が知恵をしぼった。まずは美しいガラスの覆いをつけた石油ランプを中国に取りよせ、これを街頭で教会の信者に使わせ、中国人には無料で進呈したのだ。石油ランプは桐油を使った旧式の灯りよりも明るくきれいで清潔、しかも無料だ。油が切れてもランプを捨てるわけにもいかず、人々は石油を買うようになった。市場が開拓され、アメリカの商人は大儲けした・・・。
私は売り込みの技術を述べるためにこれらのエピソードを取りあげたのではない。国と国との貿易の原理を説明したいのである。貿易に起因する国際紛争は、砲火硝煙の漂う血なまぐさい植民地拡張戦争から始まり、「冷戦」型へと移っていった。それでも変わらないのは、貿易総額の際限のない拡大と先進国の利益の無限の拡大化であり、現今の国際情勢においても、貿易の基本原理は同じである。
加工製品、農産物、畜産物を主要輸出品とする発展途上国の中国から見れば、かつての黒船や巨砲にあたるのは、農産品を検査する先端ハイテク機器である。欧米諸国はこれらのハイテク機器を用いることで、発展途上国の農産品輸出に対する「ソフトの壁」をいともたやすく築きあげたのである。彼らはみずからの体系だった検査基準を設け、相手側の輸出品目が極力この基準に達しないようにする一方で、自分達の輸出品目に使用禁止の含有成分が含まれても検査できないようにしている。これによって、貿易における入超と出超をコントロールできるのである。
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マルクス
適当な利潤があれば資本(投資)は大胆になる。
資本は、10%の利潤があれば、いたるところで投資される。
20%なら暗躍してくる。
50%なら危険を冒す。
100%になると一切の法律を無視する。
300%となれば、たとえ絞首刑になろうと、犯罪を犯す。
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百数十年前の中英間の貿易では、こういうエピソードに満ちていたという。
当時のイギリスでは、独りよがりな中国幻想があった。新聞にはしばしば「数億の中国人がシャツの袖を1インチ長くするだけで、イギリスの紡績工場は数十年分の仕事が得られる」という記事が載っている。~~
ところが、当時の大清帝国の臣民たちは、自給自足で十分やっていた。イギリス人がはるばる生みを超えて運んできたラシャや綿布、各種の機械は、はなから受けつけない。これに対して、イギリス側の中国茶葉や絹製品への欲求は日増しに高まっていった。イギリス政府は拡大する輸入超過の圧力に悩むことになった。
自由貿易を求めるイギリスの外交使節団は、海を渡って頻繁にやってきたが、われらが尊大なる康熙帝、乾隆帝や嘉慶帝らは、こう回答している。
「大皇帝は万国に君臨し、その恩四方に及び、内地外夷を問わず、いずれも大皇帝の百姓なり。たとえ西夷の時計、ラシャ、羽毛のたぐいが立派でも、しょせんは中国に必需のものにあらず。しかしながら今日その通商を許したるは、大皇帝の外夷子民を憐れみ、一視同仁の恩典なり」
「天朝の恩、各国の貿易の求めを許したるは恩寵大なり。しかして各国民商人どもはひたすらその恩を感じ、帰化し、食欲無尽はならず、いたずらな紛糾あってはならぬ」
「時計、ラシャのもの、天朝の必需にはあらずが、茶葉、生糸は汝の国にはなくてはならぬものなり。この天朝、遠人に恵を垂らしたることを知れば、願い、いまだ不十分というなかれ・・・」
六ヶ月と二十日を費やして、ようやく1816年に中国に到着したイギリス国王の特使マースト卿は、叩頭など中国式礼儀を欠き門前払いをくらうと、本国に対して三つの処理案を提出した。すなわち、一、武力で中国に合理的条件にもとづく管理下の貿易を迫る。二、中国が制定した一切の制度に絶対服従する。三、中国との往来を絶つ、である。
大英帝国は第一案を選び、アヘン戦争を起こした。その結果、神秘的で豊かな中国の地は、イギリス植民者たちの無尽蔵の財布となり、彼らの工業製品の一大市場となったのである。
アヘン戦争から数十年のち、アメリカもまた中国市場の開拓を始めた。彼らは黒船と巨砲を使うほかに、イギリス以上に巧妙で効果的なやり方を考えた。
アメリカのある石油会社は中国の灯りに着目し、ランプ用の石油を売りこもうとした。だが、菜種油や桐油を使い慣れた中国人は、どうしても石油を受けつけない。そこで、中国通のある社員が知恵をしぼった。まずは美しいガラスの覆いをつけた石油ランプを中国に取りよせ、これを街頭で教会の信者に使わせ、中国人には無料で進呈したのだ。石油ランプは桐油を使った旧式の灯りよりも明るくきれいで清潔、しかも無料だ。油が切れてもランプを捨てるわけにもいかず、人々は石油を買うようになった。市場が開拓され、アメリカの商人は大儲けした・・・。
私は売り込みの技術を述べるためにこれらのエピソードを取りあげたのではない。国と国との貿易の原理を説明したいのである。貿易に起因する国際紛争は、砲火硝煙の漂う血なまぐさい植民地拡張戦争から始まり、「冷戦」型へと移っていった。それでも変わらないのは、貿易総額の際限のない拡大と先進国の利益の無限の拡大化であり、現今の国際情勢においても、貿易の基本原理は同じである。
加工製品、農産物、畜産物を主要輸出品とする発展途上国の中国から見れば、かつての黒船や巨砲にあたるのは、農産品を検査する先端ハイテク機器である。欧米諸国はこれらのハイテク機器を用いることで、発展途上国の農産品輸出に対する「ソフトの壁」をいともたやすく築きあげたのである。彼らはみずからの体系だった検査基準を設け、相手側の輸出品目が極力この基準に達しないようにする一方で、自分達の輸出品目に使用禁止の含有成分が含まれても検査できないようにしている。これによって、貿易における入超と出超をコントロールできるのである。
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マルクス
適当な利潤があれば資本(投資)は大胆になる。
資本は、10%の利潤があれば、いたるところで投資される。
20%なら暗躍してくる。
50%なら危険を冒す。
100%になると一切の法律を無視する。
300%となれば、たとえ絞首刑になろうと、犯罪を犯す。
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