311の直後の私の行動を覚えてる限り書いてみます。
3/11:
地震の後、歩いて帰って23:00に家に到着。その時点で放射能漏れのニュースらしきもの確認。
3/12:
福島と東京の中間地点である茨城のモニタリングポストのチェック。
http://www.houshasen-pref-ibaraki.jp/present/result01.html
この時点では全ての数値が地震の影響により「点検中」となっており、ネットで
情報収集。この時点で窓を締め切り換気扇の類は全て停止。
3/13:
茨城のモニタリングポストが復旧し始める。この時点で大体50nGy/hと平常値と
それほど変わらず。しかしネットやTVでは異常事態の状況が消えなかったので
監視継続。
3/13夜:
茨城のモニタリングポストで若干数値が上がる。100~200nGy/h程度。
この時点で異常だと思い、茨城方面の営業と相談。
3/14朝:
相変わらず数値は200nGy/h程度を推移。若干上がったまま。
3/14昼:
3号機爆発。数値は変動少なし。
3/14夕方:
ニュースでセシウム東京到着の報道。同僚が動揺して対処を何故か
聞いてきたので、とりあえず家から出ずに洗濯物も出すなと。
深夜まで残業で仕事のミーティング(orz)だったので、モニタリング
ポストの値は寝る前に確認。この時点でも数百レベルだった気がする。(記憶曖昧)
3/15朝:
モニタリングポストの数値を見ると、5000nGy/s辺りで安定。
いきなり通常の100倍になったので、電車止まれと祈ったが停電区域でなく
暗い気持ちで出社。
3/16以降:
5000nGy/s辺りで安定。
確か2ヶ月くらいしてやっと150くらいに戻ったような記憶があります。
ちなみに、実際の数値は以下にも降下量の数値があります。
事故後1週間が勝負、という説は本当でした。
https://spreadsheets.google.com/spreadsheet/pub?hl=en&key=0AjgQ0pwrXV8YdGJORHAzdi1qMlFldUMwRkl4V3VfN0E&hl=en&gid=0
風速4m/sで間にさえぎる物が無く、風向が変わらない、という条件では
原発-新宿間で250kmなので、
250[km]x1000[m/km]/4[m/s]=62500sec
62500[sec]/60[sec/min]/60[hour/min]≒17.5hours
非常にざっくりした計算なのと、茨城のモニタリングポストが寝ている間に
どう推移したかまでは確認できていないのですが、爆発時に最も多く放射性
物質が飛び散り、それに比例した量の放射性物質が到達していることは後の
データからも確かです。風速や最初の爆発の初速が加味されていない点が
抜けてるので、厳密にはこれより複雑だと思いますが、早くとも12時間は
掛かると思います。
当時は、TVや気象庁は風速や風向の情報を目立つように出さなかったですから
こんな計算でどうするかを考えて監視していました。
私は少ししてから海外のサイトで風向や風速、その他もチェックしてましたが
当時は正直その情報を持っておらず確認できてません。
まぁ、リアルタイムで情報を得ていればいつ頃に放射性物質が到着するかは
分かります。すくなくとも国はあの時その予測情報を持っていたはずです。
花粉情報も予想できるんですから。
(´・ω・`)自分としては急造の知識の割に当時割と正しく行動出来ていたのではないかと思います。万が一茨城のモニタリングポストで数値が変動後、6時間位は東京到着までの時間の猶予があると思っていました。
ちなみに、食べ物の話も結構判断あってたと思います今見ると(;・ω・)悪い予想だけ当たる・・・
内部被曝を減らすためのあれこれ
http://85406.diarynote.jp/201108162141567904/
野菜のセシウム吸収率の件は、根っこの深さが大きな要因だと最近気づいた。
明太子は高級品じゃなきゃ大体外国産ですた。魚も大半は外国産かも。
こんな経験や情報が役立つ日が二度と来ないことを本気で願います。
3/11:
地震の後、歩いて帰って23:00に家に到着。その時点で放射能漏れのニュースらしきもの確認。
3/12:
福島と東京の中間地点である茨城のモニタリングポストのチェック。
http://www.houshasen-pref-ibaraki.jp/present/result01.html
この時点では全ての数値が地震の影響により「点検中」となっており、ネットで
情報収集。この時点で窓を締め切り換気扇の類は全て停止。
3/13:
茨城のモニタリングポストが復旧し始める。この時点で大体50nGy/hと平常値と
それほど変わらず。しかしネットやTVでは異常事態の状況が消えなかったので
監視継続。
3/13夜:
茨城のモニタリングポストで若干数値が上がる。100~200nGy/h程度。
この時点で異常だと思い、茨城方面の営業と相談。
3/14朝:
相変わらず数値は200nGy/h程度を推移。若干上がったまま。
3/14昼:
3号機爆発。数値は変動少なし。
3/14夕方:
ニュースでセシウム東京到着の報道。同僚が動揺して対処を何故か
聞いてきたので、とりあえず家から出ずに洗濯物も出すなと。
深夜まで残業で仕事のミーティング(orz)だったので、モニタリング
ポストの値は寝る前に確認。この時点でも数百レベルだった気がする。(記憶曖昧)
3/15朝:
モニタリングポストの数値を見ると、5000nGy/s辺りで安定。
いきなり通常の100倍になったので、電車止まれと祈ったが停電区域でなく
暗い気持ちで出社。
3/16以降:
5000nGy/s辺りで安定。
確か2ヶ月くらいしてやっと150くらいに戻ったような記憶があります。
ちなみに、実際の数値は以下にも降下量の数値があります。
事故後1週間が勝負、という説は本当でした。
https://spreadsheets.google.com/spreadsheet/pub?hl=en&key=0AjgQ0pwrXV8YdGJORHAzdi1qMlFldUMwRkl4V3VfN0E&hl=en&gid=0
風速4m/sで間にさえぎる物が無く、風向が変わらない、という条件では
原発-新宿間で250kmなので、
250[km]x1000[m/km]/4[m/s]=62500sec
62500[sec]/60[sec/min]/60[hour/min]≒17.5hours
非常にざっくりした計算なのと、茨城のモニタリングポストが寝ている間に
どう推移したかまでは確認できていないのですが、爆発時に最も多く放射性
物質が飛び散り、それに比例した量の放射性物質が到達していることは後の
データからも確かです。風速や最初の爆発の初速が加味されていない点が
抜けてるので、厳密にはこれより複雑だと思いますが、早くとも12時間は
掛かると思います。
当時は、TVや気象庁は風速や風向の情報を目立つように出さなかったですから
こんな計算でどうするかを考えて監視していました。
私は少ししてから海外のサイトで風向や風速、その他もチェックしてましたが
当時は正直その情報を持っておらず確認できてません。
まぁ、リアルタイムで情報を得ていればいつ頃に放射性物質が到着するかは
分かります。すくなくとも国はあの時その予測情報を持っていたはずです。
花粉情報も予想できるんですから。
(´・ω・`)自分としては急造の知識の割に当時割と正しく行動出来ていたのではないかと思います。万が一茨城のモニタリングポストで数値が変動後、6時間位は東京到着までの時間の猶予があると思っていました。
ちなみに、食べ物の話も結構判断あってたと思います今見ると(;・ω・)悪い予想だけ当たる・・・
内部被曝を減らすためのあれこれ
http://85406.diarynote.jp/201108162141567904/
野菜のセシウム吸収率の件は、根っこの深さが大きな要因だと最近気づいた。
明太子は高級品じゃなきゃ大体外国産ですた。魚も大半は外国産かも。
こんな経験や情報が役立つ日が二度と来ないことを本気で願います。
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