3月16日の日記

2012年3月15日 日常
今日でもう1年か・・・いつも通りまとまり無く書いてみます。

前にコソっと当時の行動を書いたけど、去年の15日の朝は
本当に暗い気持ちで出社してました。
http://85406.diarynote.jp/201112072327561171/

 水が汚染されていると報道された後には、スーパーに水は当然もうない(;・ω・)c
仕方ないので、しばらくペットボトルのお茶でご飯炊いてました。
意外と芯が残って不味かった。
 大阪の実家から水送ってもらおうとしましたが、代わりにまたお茶が来たのには
がっかりして、水が欲しいんだと姉に文句を言ったら
 「これ(お茶)しかなくて、これだって一生懸命探してやっと集めたんだ」と。
Σ(゜Д゜;)ハッとなって気づかなかったことを謝りました。

 当時は仕事が終わって帰っても、スーパーは買い占められてて水どころか何もないし。
家に食料は沢山保存していたのですが、水がないと食べられないものばかりで、
食べることしか楽しみがない自分としては辛かった。
 その上、節電とかいって8時に閉店してましたからね。残業して帰ったらもう閉まってる。
 スーパーの閉店時間を睨んで帰って、空っぽの棚と薄暗い照明の中、何かましなのは無いかとスーパーをうろちょろ。まぁ大体ないんですけどね。
外食すればよかったんでしょうけど、そんな気分になれないし、そもそもチェーン店以外閉まってるし。

スーパーの店員が妙に明るかったのが印象的でしたね。入荷が無いので仕事が無くて暇なのと、異常すぎて逆に現実感が無かったためだと思います。



ちなみに、あの当時の茨城のモニタリングポストの値は、今の福島の20km避難
地域圏内の値とほぼ同じです。
(一部ホットスポットでその5倍とかありますが)

 モニタリングポストは冷戦中の他国の核実験の影響測定用に
作られているので、恐らく事故の想定はしてないと思ってます。だから、
5000という数値は、計測器の上限だったんじゃないかなぁと
今となっては思います。

(´・ω・`)まぁ私の経験なんて現地で被災した人に比べたら全然天国
なんでしょうけども。
 政府がせめて行政保管のヨウ素丸飲めと指示を出していればなぁ、
と思います。
 そうすれば子供に余計な被曝もなく自治体も動きやすかっただろうに・・・。
まぁ結局一度もそんな指示は出なかったことからも、政府が機能停止していた
ということが良く分かります。


 後、ガレキ処理を全国で引き受けようという気運も、私は反対です。
もう汚染されている関東では仕方ないかもしれないが、そうでないところは
クリーンなままにしておいた方が良い。安心を求める人がどこにもいけなく
なるようにしてはいけない。そういうところは残しておくべきです。

 民主党がやろうとしているのは、目的のためにプロセスを
無視した法律違反です。暫定基準値の件もそうですが、尖閣の件、脱税、
在日韓国人献金、みんな法律違反なのに悪いと思っていそうにない。
ここまで法律を軽視する政府は初めて見た気がします。
 だからこそ、ルールを守らなくてもなんとかなる、という風潮が出来て、
安全宣言後の基準値越えのものが出たりして誰も検査結果を信じなく
なってしまったと思います。少なくとも政府の言うことをまともに信じる人
はもう周りにはいない。政府に、ガレキから汚染は確認されていない、と
言われても、信じられる訳がないですから。

 理由があって不安でも移住できない人もいるから、ガレキを受け入れたら
市町村に金を出す、のではなく、そこでの住民税等を安くする、という直接
そこに住んでいる人にメリットが見える形にすべきだとも思う。
あれだと直接的には市町村の財政だけ潤うから、デメリットしか感じないのも無理はない。

 日本人だから~とか、絆がどうこう、という個人の価値観や感情論を
振りかざして説得しようとしても、絶対結論でないですから。お前らのせいで
現地の復興が遅れる、というのも同じ。
 ああいう「俺様の価値観に反する奴は売国奴」的な発言をする人や
今のルールを無視する政府を見ると、太平洋戦争の時もこんなんだった
んだろうな、とふと思ったりします。

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